旅人は2種類
まずはじめに、日本人の旅人は大きく分けて2種類の人がいます。
①ヤッホー系の人
独りで旅に出たはずなのに、日本人同士で群れて観光地を巡って、写真撮って楽しんでいる人々。
ワーキングホリデーで日本食レストランで働き、日本人同士で群れている人の話をよく聞きますが、これと同じだと思います。
要は、孤独に慣れていない、自立できていない人です。
私は彼らが本当に嫌いで、分かり合えないと思っています。
名称がないので、ヤッホー系の人と呼ぶことにします。
②影のある人
こっちは日本で色々と抱えてきた思いがあって、旅をしている人です。
私もこちらに該当していました。
中には拗らせ過ぎて、辺鄙な土地でレイドボスみたいな存在になっている場合もあります。
例えば、日本人をカモる存在になっていたり、麻薬に溺れていたり、この土地の事なら俺!と自意識を拗らせて周囲に振りかざしていたりetc
影がある人が闇落ちしたら、大体こうなっていますね。
こうなると、ヤッホー系の人の方が数倍マシです。
大学には6年間在籍した
私は大学に6年間いました。
「院に行った?」
「違います。」
「留年した?」
「違います。2年間休学しました。」
休学は、大学を休みます、っていう手続きですね。
私立だと授業料の半分とかの費用が必要ですが、国立は無料で手続き可能です。
※私の時代、2011-2012年とかの話なので、現在は変わっているかもしれません。
幸い、国立大学でしたので、休学は無料でできました。
この2年間のモラトリアム期間を作り、私は世界中を旅したり、日本で人に会う旅をしたり、どうやって生きていけばいいのかな?と考えていました。
ちなみに、モラトリアムを検索すると、
「社会人となるべき自信がなく、大学の卒業などを延ばしていること。」ねえ。
まあ、大方正しいですね。
思考停止で社会人になる違和感、サラリーマンは向いていない自覚、保険で作られた人生設計への違和感etc
言葉にできない違和感を多く抱えていました。
詰まる所、
「自分みたいな人間はどうやって生きていけばいいの?」
が分からなかったんですよね。
だから、自分の世界を広げるしか方法がなかったわけです。
自分探しとバックパッカー
それで旅に出て帰ってきたわけですが…
この話をすると、特に年配の方々は
「自分探しか?見つかったか?」と揶揄しますね。
その度、「ああ、こいつは自分探しが何かも分からないのか?」と思います。
そもそも、『自分』は『自分』の中にしかないんですよ。
『自分』を他人が持っている、もしくはどこかに『自分』がある、と考えるのはオカシイ。
『自分』はバルセロナにいたんだ、とか
あなたが『自分』を持っていたのか、とか
ないでしょ、絶対ないでしょ。
「自分探しとは、沢山の人や出来事に接する中で自分の輪郭を確かめる事です。」
元来、人は人を鏡として自分を確かめています。
価値観の違いであったり、思考の違いであったり、はたまた外見の差であったり…
それらを沢山の人と接して知っていくわけです。
“自分はこういう人間である”と。
旅はその時間を圧縮してくれるものです。
短い期間に多くの人と会い、多くの出来事に触れます。
何度も自分の輪郭に触れていく事で、自分がどういう人間なのかが分かってきます。
大学卒業までを普通に生きていたら、周囲には同じような輪郭の人間ばかりで、自分が異質なのは理解できても、どう生きればいいのか?が一切分かりません。
こういう人は少なからず存在していると思います。
自分の輪郭と似ている人の人生から、生き方を学ぶのもいいかもしれません。
誰だって最初は模倣から学んでいきますから。