愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

これはドイツの政治家、オットー・フォン・ビスマルクの有名な言葉ですね。

「なぜ勉強するのか?」って、簡単に言えばそういう事ですよね。

最初から無駄な失敗、誤りを避けるため、他人の経験から学ぶわけです。

その方が、円滑に物事を勧めることができるからです。

自分の経験からしか学ばない人は、沢山の誤りを犯すし、沢山のロスが生じてしまいます。

だから知識を得て、その知識を自分で経験して、自分のものにしていくわけです。

「守破離」という言葉もありますしね。

ソーセージと法律の作り方を知る人は、もはや安眠することが出来ない。

これも、ビスマルクの名言のひとつです。

意味が分かりますかね?

「知ってしまったら、気になったり、不安になったりで寝れなくなるよね。」

ということです。

ドイツの政治家という事で、ソーセージが出てきているのに、国民性を感じますね。

さて、当然ですが「知る」という行為は不可逆です。

一度知ってしまったら、知らなかった自分に戻ることはできません。

特に、記憶に深く根付くようなショックな出来事、厄介なアイデア、というのは尚更です。

映画「インセプション」とか、まさにこれですよね。

アイデアを深くに根付かせたから、それが行動の根本になってしまった、という。

それに「知らぬが仏」という言葉もあります。

知らぬが仏

知ってもどうしようもない問題もあります。

例えば、スノーデンの暴露した真実とか。

残念なことに、電子機器を介したやり取りは全て監視されています。

私のこのブログもSNSでの発言も、通話もそれに類する人間関係も、全てログが残っているわけです。

また、日本はアメリカに背くと全て終わるようです。

まあ、この映画は非常によくできているオススメです。

では、監視されているからといって、PCや電話を手放す生活が送れるのか?

無理ですよね。

仮にPCから自分の生活が覗かれていたとしても、手放すことはできません。

この真実を知ったからといって、対策のしようがありません。

この事を知らない世界で生きていた方が幸せだった、とも思えます。

それでも、知らないと見えない世界がある、そう思えます。

 

最近、ネギの出荷作業に籠りっきりで、風邪をひいたり寝込んでいたり…

なんか冒険がしたいなあ、知らない世界を知りたいなあ、と思う今日この頃です。